電力

「停電ゼロ」を50年守り続けた男の執念 —— 東北電設工業 代表取締役 山田 誠一

2026.03.22 8 min read 取材・文:INFRA HEROES編集部
電力設備
山田 誠一
山田 誠一(やまだ せいいち)
東北電設工業株式会社 代表取締役社長

1958年、宮城県大崎市生まれ。高校卒業後、地元の電気工事会社に入社。26歳で独立し東北電設工業を設立。従業員12名から始めた会社を、東北6県に事業展開する従業員280名の企業に成長させた。座右の銘は「現場が俺の社長室」。

ORIGIN —— 原点

「あれはね、1976年の冬でした。僕が高校2年生の時。朝日新聞の新社屋完成がきっかけで、供給系統に影響が出て、3日間の大停電になったんです。」

山田誠一は当時の情景を鮮明に覚えている。暖房が止まった家の中、母親が心配そうに弟妹を抱きしめる姿。夜の街灯がすべて消えた町の不気味な静寂。そして、明け方に懐中電灯の前で勉強する自分の手の冷たさ。

「高校の先生から『電力会社って、目立たないけど社会のすべてを支えてるんだぞ』って聞いたんですよ。その言葉が刺さった。進学校でしたから医者とか弁護士になるって奴ばかりでしたけど、僕はもう決めてた。電気のない人生は考えられなくなってました。」

山田は電気工事の専門学校に進学。1978年に東北電力の協力会社に就職し、夜間大学で電気工学を学んだ。同期の仲間たちは大手メーカーや大企業へ進む中、彼は敢えて現場に留まった。配電線の保守点検、変電所の運用、緊急対応—あらゆる実務を身につけるため。

「停電が起きるっていうのは、単なる不便じゃない。病院の患者さんが、信号機がなくなって交通事故が起きて、社会全体が止まるんですよ。その重責をずっと感じてました。」

PRIDE —— 誇り

1984年、26歳の山田は東北電設工業を創業した。資本金わずか300万円。初代社員は自分を含めて3名。最初の仕事は、大崎市内の小さなビルの配線工事だった。

「あの頃は本当に必死でしたね。給料が出ないで3ヶ月、4ヶ月続くこともありました。でも、誰かがこの仕事をやらなきゃいけないんですよ。電力業界って、目立たないけど、失敗が許されない業界なんです。」

山田が創業から10年で実現したのが「即応体制」だ。地震、台風、大雪—自然災害が来ても24時間以内に復旧できるチームを作った。各地域に拠点を作り、最新の測定器を導入し、毎月の訓練を欠かさなかった。

「バブルの時代、みんな不動産とか株で儲けようとしていた。でも僕たちは現場を磨きました。電柱一本、電線一本の品質にこだわりました。それが評判になって、仕事が増えていきました。」

現在、東北電設工業の従業員は280名。宮城県、岩手県、福島県全域で電力インフラを支えている。2011年の東日本大震災では、山田は被災地に自ら入り、3ヶ月間復旧作業を陣頭指揮した。当時、従業員の半数以上が現地で活動していた。

「現場が俺の社長室だ。」これが山田のモットーだ。会社を創業以来40年以上、毎日現場に出ている。営業の電話は秘書が受ける。報告書は帰ってから書く。でも現場での一つ一つの決定は、自分で下さないと気がすまない。

STRUGGLE —— 葛藤

「人手不足っていうのが、今、一番の課題です。」山田の表情が曇る。電気工事の職人は高齢化が進んでいる。優秀な若い人材が入ってきても、3年で辞める。賃金だけでは解決できない問題がある。

「やりがいってのは、数字にならないんですよ。『あの時、自分たちが夜中に作業したおかげで、町の人が朝会社に行けた』って。そういう実感がないと、この仕事は続かない。」

山田は数年前、若手職人の育成システムを一から作り直した。新卒採用を3倍に増やし、3年の集中育成プログラムを組んだ。給料も上げた。失敗を許す文化も作った。それでも、離職率は業界平均より低いとはいえ、完全に解決したわけではない。

「自分の成功体験が、時代と合わなくなってきたんですよ。僕は『現場で鍛える』『失敗から学べ』で来た。でも今の子たちは、もっと早くから成功体験が必要なんじゃないか。そこのバランスが難しい。」

もう一つ。デジタル化への対応だ。AIセンサーで電力の質を監視する時代になった。ドローンで電線を点検する。そういった新技術の導入には、大きな投資が必要だ。でも東北の電力需要は、実は減っている地域が多い。

「成長と安定のバランスって、本当に難しいんですよ。新しい技術に投資したいけど、従業員の給料も保障したい。どっちかを選ぶわけにはいかないんです。」

VISION —— 未来

山田は今年、会社の後継者を指名した。長年の部下で、現在営業本部長を務める男性だ。自分たちの世代とは違う視点を持っている人物を選んだ。

「僕は現場一筋で来た。でも会社が280名まで大きくなると、現場だけじゃダメなんですよ。組織を作る、システムを作る、人を育てる。そういう経営的な視点が必要になった。後継者はその力を持ってる。」

山田自身は、相談役として会社に残る予定だ。完全には引きません、と笑う。現場を捨てることはできない。でも若い世代に任せるべき判断もある。そのバランスをどう取るか—これが今の課題だ。

「東北の電力インフラは、これからもっと重要になると思う。再生可能エネルギーの導入、電気自動車の普及、デジタル化—すべてが電力の質と安定供給に依存してる。」

山田の目が輝く。「うちの若い世代には、僕たちが作った『停電ゼロの東北』を守り、さらに進化させてほしい。次の50年は、彼らのものです。でも、何かあったら、この老いぼれがサポートする。そのためにまだ現場にいるんですよ。」

「停電ゼロって、地味な目標に聞こえるかもしれない。でも、それができない社会は、医療も通信も金融も全部止まるんですよ。裏方の仕事だからこそ、完璧じゃなきゃいけない。」

インタビューの最後、山田は自分の手を見つめた。50年間、何千回も電柱に登った手。電線を触った手。真冬の夜中に配線図を描いた手。その手はまだ、電力インフラを支える仕事を離さない。

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