1980年、長崎県五島列島生まれ。離島の通信環境の悪さを原体験に、東京の大手通信会社で10年勤務後、故郷に戻り起業。離島・僻地専門の通信インフラ企業として、全国200以上の離島に5G基地局を設置。
ORIGIN —— 原点
「僕の故郷は、本当に何もないところでした。」中村健太は笑った。「五島列島の小さな島。人口2,000人ぐらい。携帯電話は繋がるけど、データ通信は遅い。YouTubeなんか見ようと思ったら、朝の5時とか夜中の12時とかね。昼間は繋がらない。」
1980年代、五島列島はまさに離島であった。本島とを結ぶフェリーは1日3便。医療も教育も限られている。そして最大の課題が、通信インフラの貧弱さだ。
「高校生の時、修学旅行で広島に行ったんですよ。初めて、まともなインターネット速度を経験した。新幹線もあるし、デパートもあるし。その時、『あ、世界はこんなに広いんだ』って思いました。同時に、『なぜ島と本島でこんなに差があるんだ』って怒りを感じたんです。」
中村は東京の大学に進学した。情報工学科。卒業後は、NTTドコモのキャリアを積んだ。基地局の設計、通信インフラの企画。東京オリンピックの準備で、5Gの実験にも関わった。でも、心の奥底には、いつも故郷のことがあった。
「『東京のために5Gを整備する』より、『故郷のために何かやりたい』という気持ちが強くなってきたんですよ。」
PRIDE —— 誇り
2019年、中村はドコモを退職した。39歳。キャリアのピークだった。周囲から反対の声も上がった。「何で地元に帰るんだ」「仕事があるじゃないか」と。でも彼の決意は揺るがなかった。
「離島への5G基地局設置なんて、採算が取れない。それは分かってました。でも、採算性だけで判断していたら、日本の半分の地域は通信インフラに取り残されることになる。」
中村が設立したアイランドコネクトは、最初は小さな会社だった。従業員は自分を含めて3名。基地局の設計と、実際の設置工事を行う。
第一の課題は、技術的な困難性だった。離島に基地局を建てるためには、海岸から数百メートル離れた山の上に設置することが多い。建設資材の運搬が困難だ。また、台風が多い地域では、構造の強度が求められる。
「全部やりました。設計も、施工も、保守も。初期のころは、自分の体を張ってました。台風が来そうな時は、島に渡って、基地局の異常がないか確認する。そういう作業を、毎月繰り返してました。」
「いや、『全部俺が建てた』っていうのは、本当の話です。5Gの基地局だけじゃなく、その周辺の通信インフラも。配線から、サーバールームから、全部自分たちでやりました。」
2020年から2023年の間に、中村はひたすら基地局を設置し続けた。長崎県の五島列島、壱岐、対馬。そして徐々に範囲を広げていった。佐賀県の離島、福岡県の離島、さらには瀬戸内海の島々まで。現在、アイランドコネクトが設置した5G基地局は、全国60箇所を超える。
その結果、何が起きたか。島の人口減少は変わらないが、高齢者がビデオ電話で孫と会話できるようになった。起業家が島で仕事を始めるようになった。Zoomでの医療相談も可能になった。観光客も増え始めた。
「離島って、『何もない』って思われてた。でも、5Gが来ると、逆に『可能性がある場所』に見えてくるんですよ。それを肌で感じるのが、何より嬉しい。」
STRUGGLE —— 葛藤
「採算性との戦いですね。」中村の表情は、少し厳しくなった。「離島に基地局を設置する費用は、都心の5倍、10倍になることもあります。でも、利用者は圧倒的に少ない。その収支を合わせるのは、すごく難しい。」
現在、アイランドコネクトは、政府の補助金や自治体からの受託事業で、採算性を保っている。しかし、その補助金がいつまで続くかは不確定だ。
もう一つ。通信企業との関係性だ。大手キャリアが直接、離島への基地局設置に乗り出す動きも出始めている。そうなると、中村たちのような小規模企業は、競争力を失う可能性がある。
「正直、不安ですよ。大手が参入してきたら、うちの出番なんかなくなるかもしれない。」だが同時に、彼は違う側面も見ている。
「でも、大手だけじゃ本当に対応できない。全国津々浦々の離島に対応するなら、地元に根ざした企業の力が必要です。僕たちは、その役割を果たしたいんですよ。」
「人手不足も課題ですね。高所作業ができる若い技術者が、都心に流出していく。地元に優秀な人材を確保するために、給料も上げたいし、労働環境も改善したい。でも、採算性があれば...という悪循環に陥ってます。」
VISION —— 未来
中村は、3年後の目標を持っている。全国100箇所の離島で5G基地局を整備することだ。さらに、その先には、6G、さらに次の通信規格へのシフトを視野に入れている。
「通信技術は進化し続けるんですよ。今は5Gですが、5年後、10年後には6Gが来るかもしれない。その時に、『あ、5Gはもう古い』って言われちゃったら、離島はまた取り残される。」
「だから、僕たちがやることは、『離島でも、最新の通信が使える環境を整える』ということじゃなくて、『離島でも、常にアップデートできる仕組みを作る』ことなんですよ。」
同時に、中村は次世代経営者の育成に力を入れている。現在、20代の若い技術者を積極的に採用し、基地局設置のノウハウを引き継いでいる。
「僕が39歳で会社を作ったから、今50代になってる。次は、その下の世代に託す時間が来ている。」彼は少し感慨深そうに言った。「でも、完全に託すわけじゃない。離島の未来を決めるのは、彼らなんですから。」
「離島に生まれた人間が、離島に通信インフラをもたらす。そしていずれは、他の離島に生まれた人間が、さらに高度な通信環境を作る。その『循環』を生み出すことが、僕の使命だと思う。」
インタビューの最後、中村はスマートフォンを取り出した。壱岐島でビデオ通話をしてみると見せてくれた。フレームレートも高く、音声も鮮明だ。「3年前は、この島でこんなことできませんでしたよ。」
彼はさらに、故郷である五島列島から撮影した写真を見せてくれた。夕焼けに染まる海。その海に浮かぶ小さな基地局。「あの基地局が、島の人たちの生活を変えてるんですよ。」その時、彼の目が輝いていた。
「『東京に住むのが人生』だと思ってた時代もありました。でも、今は違う。故郷で、最先端の仕事ができる。離島だからこそ、逆に最先端の通信技術を牽引できる。そういう時代が来てるんですよ。」