建設

20代で継いだ家業、社員100人の建設会社に育てるまで

2026.03.10 8 min read 取材・文:INFRA HEROES編集部
建設現場
小林 大地
小林 大地(こばやし だいち)
北関東建設株式会社 代表取締役

1990年、群馬県前橋市生まれ。父の急逝により24歳で家業を継承。借金を抱えた従業員15名の会社をIT化・SNS採用戦略で立て直し、10年で従業員100名の企業に成長させた。INFRA HEROES最年少の特集経営者。

ORIGIN —— 原点

「親父が死んだ時、僕は24歳でした。親父は、その朝、いつもの現場に出かけて。昼過ぎに『階段から落ちた』って連絡が来た。」小林大地は、静かにその時の記憶を語った。

2014年の秋。小林は、群馬県の前橋市で小さな建設会社を営む父親の急死を知らされた。その時、彼は大学4年生。翌年、新卒で入社予定だった企業がある状態だった。でも、人生は予定通りには行かない。

「母から『会社を続けるか、たたむか、お前で決めろ』って言われたんです。その時点で、従業員は15人。親父が30年以上かけて、細々と作ってきた会社。」

当時の北関東建設は、明らかに危機的な状況だった。建設業は、受け継ぎが難しい業界だ。親の人脈で仕事を取っていた場合、親が亡くなると、その仕事は途絶える可能性がある。実際、父の死後、いくつかの取引先から「本社を替える」と連絡があった。

「それに加えて、親父が作った負債があったんです。合計で数千万円。銀行からも『支払期限までに返せなければ、差し押さえ』って言われてました。」

周りからは、「会社をたたんで、どこか大手に就職しろ」と言われた。でも、小林は決断した。「会社を続ける。そして、親父が作ったものを、さらに大きくする。」その時の決意は、若さゆえか、それとも何か他の理由か、彼自身も今はわからないという。

「多分、『親父が死んだから、責任を逃げちゃいけない』っていう単純な思考だったんだと思う。でも、その決断が、僕の人生を完全に変えました。」

PRIDE —— 誇り

2014年秋、小林は、当時15人の従業員を前にして、初めての訓示を行った。「俺は、お前たちの社長になった。年下だと思うけど、これからは、俺の指示に従ってほしい。そして、一緒に、この会社を大きくしたい。」

反応は、冷ややかだったという。「こんなガキが何を言ってるんだ」という空気が、現場に流れた。それは、当然だった。小林は、建設の知識も、経営の知識も、ほぼゼロだった。年下の社長に、年配の職人たちが従うわけがない。

「最初の3ヶ月は、本当に地獄でした。朝行っても、誰も言うことを聞かない。親父のやり方を変えるなんて『ふざけるな』という雰囲気。それで、僕は毎日、泣きながら、父が残してくれた経営日誌を読んでました。」

そこで、小林が気づいたのが、父の経営戦略の限界だ。親父は、人間関係と口コミだけで仕事を取っていた。現場管理も、書類も、すべてが属人的だった。もし、親父が死んだら、すべてが止まる構造になっていた。

「つまり、会社が『親父個人』になってたんですよ。会社として成立してなかった。だから、まずは『会社を会社にする』ことを決めました。IT化。業務マニュアル化。そして、若い人材の採用。」

2015年初旬、小林は、初めてのパソコンと会計ソフトを導入した。それまで、すべて手書きだった書類が、デジタル化された。親父の時代には考えられなかった効率化だ。同時に、小林は、父の友人たちへの営業を強化し始めた。

「その時点で『次は人だ』と思ったんです。今の15人の年配の職人たちだけでは、会社は成長しない。若い世代を入れなきゃいけない。でも、今の知名度じゃ誰も来ない。」

当時はまだ、SNSで採用活動をする建設企業は珍しかった。小林は、Instagramで『若い職人募集』と投稿した。同時に、自社の施工現場の様子を配信し始めた。「建設って、こんなに面白い仕事なんだ」というメッセージを込めて。

その戦略が、奏功した。翌年には、新卒で10人の若い職人が入社した。その翌年には、さらに20人。人数が増えると、仕事の量も増え始めた。若い職人たちがSNSで現場の様子を配信すると、「うちの道路工事も頼みたい」という問い合わせが、地域の自治体や企業から入り始めたのだ。

「多くの人は『建設業は衰退産業』と思ってます。でも、実は、インフラ整備で、まだ必要とされてる。その需要と、若い人材をマッチングするのが、僕の役割だった。」

STRUGGLE —— 葛藤

2018年、会社が急速に成長する中で、小林が直面したのが、「経営的な課題」だった。従業員が50人を超えた時点で、単純な指示では組織が回らなくなった。

「若い職人たちは、SNSの配信で入ってくるので、『建設の伝統』みたいなものを知らない。一方、年配の職人たちは『こんなやり方は認められない』って思ってる。その世代間のギャップが、すごかった。」

小林は、その課題に向き合い、新しい人事制度を作った。年功序列ではなく、成果主義に変更した。給料を上げた。福利厚生も充実させた。同時に、年配の職人たちに、若い世代の指導役になってもらう仕組みを作った。

「古い世代と新しい世代が、力を合わせないと、会社は成長できない。そのバランスを取るのが、難しかったですね。『お前たちの経験は必要だけど、SNSの世界も必要』って、何度も説得しました。」

もう一つの課題は、資金管理だ。成長に伴い、機械の購入、オフィスの拡張、人件費の増加—すべてに膨大なお金が必要だった。銀行からの融資を受けながら、毎月のキャッシュフローを綿密に管理しなければならなかった。

「親父の時代の『負債数千万円』という状況は、絶対に繰り返したくなかった。だから、毎月、銀行と会って、数字を確認する。そしてできるなら、一刻も早く、その借金を返す。」

実際、小林は、創業から7年で、父が残した負債をすべて返済した。同時に、新しい機械にも投資し、建設現場の安全性も向上させた。

「若い社長だから『大胆な決断ができる』と思われるけど、実は『失敗したら、従業員に迷惑がかかる』っていう重責が、常にある。だから、毎日が、綱渡りです。」

VISION —— 未来

今、小林が目指しているのが、「建設業の働き方改革」だ。建設業は、長時間労働や危険な環境で知られている。それを、変えたいという強い思いがある。

「うちの会社では『朝5時に現場に行く』っていうのは、もうルールじゃないんです。効率的に、安全に、短い時間で仕事をする。そのために、ドローンで現場の管理をしたり、3Dモデリングで施工計画を立てたり。」

そして、最も大事な施策が「給料の大幅な引き上げ」だという。業界平均の1.5倍の給料を実現し、「建設職人」という職業を、若い世代にとって『夢のある仕事』に変えたい。

「親父の代では、建設職人は『底辺の仕事』っていう認識が、あったと思います。でも、実は、社会インフラを支える、すごく重要な仕事なんです。その認識を、世の中に広めたい。」

現在、小林の会社は従業員100人超。群馬県から関東地方全域まで、仕事を受けるようになった。さらに、全国の建設企業から「経営ノウハウを教えてほしい」という相談もくるようになったという。

「親父が死んだのは、本当に辛い経験でした。でも、もしあのことがなかったら、僕は多分、どこかの大企業で、平凡な人生を送ってたと思う。今は、自分の決断が、100人の職人たちの人生を支えてる。その責任は大きいけど、やりがいも大きい。」

「建設業の未来は、明るいと思ってます。インフラ整備は、これからも必要。その時に、給料がいい、働き方が良い、若い人が憧れる業界になってたら。そのために、俺はこれからも、走り続けます。」

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